引札の巻(第1回)

引札とは江戸末期、明治、大正、昭和初期まで各町村の商人が自社の広告宣伝として発行した1枚物の印刷物のチラシです。当時の風俗、時代の最新の品物などが印刷され人気の高かったものです。それを一般家庭で壁などに貼り付けたりして一年ごとに更新していた様です。それが今日のカレンダーに変わりました。石巻の引札の特徴としては大きさが他町村より大きいことです。約37×52cmこれは漁港としての石巻の意気を表しているのかもしれません。歴史資料だけではなく、美術品としての評価も高い。

鴇田商店

①明治31年 石巻立町の『米穀商鴇田(トキタ)商店』の引札 鴇田商店は明治~昭和にかけて東北でも有数の米穀商。(米穀商だけに千石船のデザインを使用している)
明治32年、同家で生まれた鴇田英太郎は早稲田~慶應中退の後、大正映画の俳優となるがその後創作活動に入り処女作「治郎作御用」など数多くの作品を残す。谷崎純一郎とも親交があった。     昭和4年胃ガンのため31才で逝去。
永巌寺の墓碑に刻んである辞世の句は「そのとおり、ハイ、オッツケあなたもこの通り」

石巻仲町本田時計店(明治)

②明治37年発行 石巻仲町通りの『本田時計店』 鶴と日の出で目出たい図柄です

石巻三陸漁網船具㈱

③明治30年代発行 石巻仲町通りの船具店『三陸漁網株式会社』石巻では電話設置前で電略(電報略号番号)使用しています。当時としては珍しい株式会社組織。海の関係の商売なので恵比寿様と鯛の図柄を使用

石巻菊田商店

④明治39年発行 『菊田商店』 当時、石巻裏町に店舗有り。小間物雑貨を手広く商っていました。図柄は当時お正月に子供達がよく遊んだ双六(すごろく)の絵です。

引札の巻(第1回)” に対して1件のコメントがあります。

  1. 本間英一 より:

    100年以上前のものですが、色彩が素晴らしいですね。仲町の本田時計店は3.11の地震で店舗がつぶれたはずですと思います。その当時は時計店をまだ継続していたかどうかは分かりませんが、明治からの時計店だったのですね。近くの青渕時計店も確か明治頃に東京から来てと聞きました。これからも続々資料を公開してください。石巻千石船の会

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